プロミシング・ヤング・ウーマン

映画

アカデミー賞脚本賞受賞作品ということで気になり、あまり予備知識なく
ゴジラvsコングを見てから連続で鑑賞。

ネタバレありです!

日本では2021年7月16日公開。
将来を約束されていたはずの元医大生キャシーは、夜ごと男たちに復讐していた。

ストーリーについて
お持ち帰り男に復讐、とあらすじで書かれていた割にはあんまり厳しいことはしてないんだな…と思っちゃったけど当たり前か…。
あれ以上やったらキャシーが犯罪者になっちゃうし感情移入できなくなっちゃう。

30歳目前にもなってアルバイトで実家住み…というのは
日本でもアメリカでも冷遇されるのは同じなんだなぁ…とか世知辛く感じました…。

大学時代の旧友ライアンとの再会を経て、時間が止まっていたキャシーは年齢相応になり
恋をして少しずつ変わっていく。
その様子は見ているこっちが恥ずかしいくらいに、甘酸っぱくて幸せな時間。
でもそううまくいかないんだなぁ…と現実に引き戻される。

キャシーが医大を辞めて、毎夜男に復讐するきっかけになった「親友ニーナの死」。
その過去を忘れさえすれば毎夜の男たちへの復讐も、大学時代の知り合いへの復讐も辞めて
普通の女性として、生きていける。
でもキャシーは、ニーナの家族に復讐なんか辞めて生きてと言われても、無理だった。
普通、ただの友達だったらそこまで復讐にこだわれない。
だからキャシーという女性はとてもまっすぐで正直で、ニーナを愛していたんだなと思ったし
復讐することが彼女への手向けになると思い込んでいたのかもしれない。
あるいは、そう思い込んでしまうくらいには、子供っぽいところもあったのかも。

映画を通して
すごいなと思ったのは、「ニーナ」が写真でしか出てこなかったこと。
映像作品なら、過去回想を絶対映像で入れたくなるはず。
そうすることで「ニーナ」がどんな人間なのかを語れるし、キャシーが復讐にこだわる理由を強く打ち出せるから。
観る人によっては、なぜキャシーがそこまで復讐にこだわるのかわからないと言うだろうに、どうして写真以外でニーナを出さなかったのか考えたんですけど。
あくまで「キャシーが過去に囚われながら現代を生きる人間だということ」「復讐とは、今を生きる人間のエゴであること」を言いたかったんじゃないかなと。
結局「ニーナ」が最期まで復讐を望んでいたのか、キャシーにプラトニックさを求めていたのかはわからないんだよなぁ。究極、「ニーナ」の自死のきっかけがあの事件だったのかも定かではないし。
視聴者に与えられる情報は全部、今を生きるキャシーの言い分でしかないわけで。

女性の世間の生きづらさと、その閉塞感に風穴を開けようとした作品なんだろうけど、
それ以上に私には、今を生きることの意味を考えさせてくれる作品だった。
そのための「ニーナの家族」と「キャシーの父親」だったんだと思うし。
キャシーが胸を痛めた過去を知った上で、過去を乗り越え前向きに生きようとする彼女の背中を押してくれた。
忘れることは裏切りじゃないし、周りの人はちゃんとあなたのことを応援してるんだよって
そういうメッセージに見えた。
結果的には、キャシーは現実よりも過去を選んでしまったけど、、、

いやー。この映画は本当に印象的なシーンが多かった。
観てからもっと早く感想まとめれば良かったー…。


あと触れておきたいのは、罪なき傍観者たちとの対峙!
若く有望な女性が同じく有望な男性のために使い捨てられるっていう構図で
キャシーが大学の学長と直接対峙するシーンは
無責任で当事者的でない世間の意見と真正面から戦ってくれてたなーと思う。

過去を猛省して精神的に病んでしまった弁護士の改心は、観ているときは正直蛇足に思えてしまったけど、あのシーンは必要だったんですよね。「改心する悪者もいる」ということじゃなく、「改心した者にはキャシーは必要以上に攻撃しない」んだっていう。キャシーがただの復讐鬼に見えないようにってことだよねきっと。


それから、ライアンは最初から最後まで、罪なき傍観者を貫いていたなと思う。
場所も時間も知っていたんだから、あのときキャシーを助けにきてくれていたら…と考えてしまったけど、あれで良かったんだろうな。
ライアンは私たち視聴者自身。
世間で生きている人は、大体が罪なき傍観者で
事なかれ主義で生きていると、いつか裁きが下るんだなぁ。こわこわ。

痛快復讐劇なんかではない、一言では言えない深みをたくさん感じる作品でした。

おわり!

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